(注記:本ポストの初出は2016年8月2日で、南シナ海仲裁判断の数ある論点のうちマイナーな点について書き連ねたものを旧ブログ(閉鎖済み)からこちらに移行したものです)
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■国際法上の私権としての伝統的漁業権
仲裁廷が違法と判断した中国の活動の1つに、フィリピン漁民が伝統的漁業に従事するのを阻害した点があります(主文第11)。この主文だけを読むと、中国の行為が何に違反したのかは一見して明らかではありませんが、判断理由を遡ると、フィリピン漁民を含めた個人は伝統的漁業に従事することについての「慣習国際法上の既得権」を有しており、それを阻害する中国の行為が、伝統的漁業権を尊重する国際法上の要請に適合しない、という推論であることが分かります。
812. In the Tribunal’s view, it is not necessary to explore the limits on the protection due in customary international law to the acquired rights of individuals and communities engaged in traditional fishing. The Tribunal is satisfied that the complete prevention by China of fishing by Filipinos at Scarborough Shoal over significant periods of time after May 2012 is not compatible with the respect due under international law to the traditional fishing rights of Filipino fishermen. [...]
■伝統的漁業権の証明方法
この伝統的漁業に従事する「既得権」あるいは「慣習に基づく権利'customary rights'」が、国際法によって承認された「私権'private rights'」であるという性格規定はそれ自体注目に値するかと思いますが(798・799・806項)、ここではそうした「権利」がどのようにして認定されたかに注目してみます。仲裁廷はまず、係争海域であるScarborough Shoalが伝統的な漁場であったことを認定しつつ、その歴史的記録は稀少であり、証拠資料が少ないことを認めます。
805. Based on the record before it, the Tribunal is of the view that Scarborough Shoal has been a traditional fishing ground for fishermen of many nationalities, including the Philippines, China (including from Taiwan), and Viet Nam. The stories of most of those who have fished at Scarborough Shoal in generations past have not been the subject of written records, and the Tribunal considers that traditional fishing rights constitute an area where matters of evidence should be approached with sensitivity. [...]
事案の性質上、多くの証拠資料が期待しえない場合に国際裁判においてどのような扱いがなされるべきかはそれ自体大きな問題ですが(詳細は拙著172-181頁参照)、本仲裁廷の場合、主張立証の結果だけでなく、両当事国が「誠実に」主張立証を行ったという仲裁手続上の態度を加味した上で懸案の「既得権」を肯定したと読める点が注目に値します。
805. [...] That certain livelihoods have not been considered of interest to official record keepers or to the writers of history does not make them less important to those who practise them. With respect to Scarborough Shoal, the Tribunal accepts that the claims of both the Philippines and China to have traditionally fished at the shoal are accurate and advanced in good faith.
口頭弁論終結時点での主張立証活動の成否という結果だけでなく、手続の最中における立証活動の行為態様を勘案したとも理解しうるこうした判断は、国際裁判でも先例が無いわけではないですが(詳細は拙著177-179頁参照)、かなり珍しい部類に属するものと考えられます。要するに、「誠実に」最善の立証活動を尽くしたことを認容根拠の1つとする推論であり、したがってその射程が気になりますが、'written records'の対象とならない事項という、かなりの限定がかかっておりますので、単に証拠が偏在しているとか証明が困難な場合に援用していくのは難しいかもしれません。