05 June 2020

COVID-19と国際法(4) 対WHO訴訟と国際組織の免除



前回、中国(および中国共産党)を相手取った米国裁判所での集団訴訟について概観しました。これらに加えて、世界保健機関(WHO)に対するクラスアクションも一件確認されているので、今回はこれに触れてみたいと思います。

問題のクラスアクションをニューヨーク連邦地裁に提起した(うちの一人)はニューヨーク州在住の医師であり、WHOによる「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の発生認定(その含意はこちら)が遅れたこと、武漢における感染症対策状況を適切に監視しなかったという不作為を問題視しています(para. 1)。コモンロー上の過失(negligence)に基づく請求であり(paras. 87-88)、それが成就するかはさておき、法律構成自体にはそこまで特異な点は見られないように思います。

問題は裁判管轄権の基礎であり、本訴訟でも、対中国訴訟の場合とほぼ同様に、外国主権免除法上の「商業活動例外」および「不法行為例外」の2つを援用し、それのみをもって簡単に裁判管轄権を基礎づけようとしております(para. 11)。が、この論理構成は少し敷衍を要します。

外国主権免除法に基づいて免除を享受するのは「外国国家」であり、その定義上、国際組織は含まれません。ただし米国法上、国際組織免除法という別の法律によって、外国国家と同等の免除(same immunity)が国際組織に認められています(22 USC §288a(b))。したがって、対WHO訴訟の原告は、同法適用の結果として、国際組織であるWHOの免除範囲も外国主権免除法が規定する、との前提に立っているとみることができるかもしれません。関連部分は以下の通りです。

(b) International organizations, their property and their assets, wherever located, and by whomsoever held, shall enjoy the same immunity from suit and every form of judicial process as is enjoyed by foreign governments, except to the extent that such organizations may expressly waive their immunity for the purpose of any proceedings or by the terms of any contract.

もっとも、この「同等の免除」は「デフォルト・ルール」であり(See JAM v. International Finance Corp. 586 U. S. ____ (2019))、個々の国際組織毎に異なるルールを策定することを妨げるものではありません。国連の免除を規定する国連特権免除条約が典型です(米国も当事国)。WHOを含めた国連専門機関の特権免除を定めた条約には米国は加盟しておりませんがWHO憲章本体にWHOの免除を規定する条文(67条)があります。こちらは米国も当事国です。

(a) The Organization shall enjoy in the territory of each Member such privileges and immunities as may be necessary for the fulfilment of its objective and for the exercise of its functions.
(b) Representatives of Members, persons designated to serve on the Board and technical and administrative personnel of the Organization shall similarly enjoy such privileges and immunities as are necessary for the independent exercise of their functions in connexion with the Organization.

したがって、対WHO訴訟においては、WHO憲章第67条に基づく免除の妥当も検討する必要があるように見受けられます。

なお、WHOを含め、国際組織の特権免除はその任務遂行の必要性に由来するものであり、主権の相互尊重や相互主義に由来する(と理解される)国家免除とは本来的に異なるのではないか、したがって米国法上両者が「同等の免除」を享受する原理的根拠は何か、という難問がありますが、判例上はうまく(ないかもしれませんがいずれにせよ)かわされています。