28 May 2020

COVID-19と国際法(2) WHOにおける紛争処理メカニズム



COVID-19感染拡大に伴い、ウイルス発生源と目される中国の初期対応についての国際責任を問う議論が数多く登場してきています。事態が収束していない段階でのそうした議論の方向性が生産的であるか否かへの疑問前回少し触れました。中国の国際責任を問う報告書を英国のシンクタンクが公表したのに対し、中国系メディアが相次いで批判記事を掲載してきており(例えばこれこれ)、本主題はすでに政治的なディスコースの中にあるといえるかもしれません。ただ、下記に見ますように、裁判や仲裁といった国家間紛争処理メカニズムを用意しているのは他ならぬWHO憲章や国際保健規則(2005)です。そうしたオプションを通じていかなる範囲で責任追及が可能であるのかを整理しておくことは、世界保健体制に通底する原理を理解しようとすることにもなるかと思いますので、ここではそうした可能性について概観してみたいと思います。

世界保健法制の概要を少し


筆者は保健法制の専門家でも何でもないのですが、COVID-19感染拡大に伴う国家責任追及可能性の探求という観点から関連法文書を見ますと、さしあたり次のような3層構造で捉えればよいのではないかと考えております(間違っていたら教えてください)。

1つは、WHO憲章であり、中国を含めた190を超える国が加盟する、WHO(世界保健機関)という国際組織を設立する国際条約です。条約である以上、加盟国に対して義務を課しうる法文書ではありますが、国際組織設立条約という性質から、WHO内部機関の組織や運営に関する規定が多くを占めており、(国家責任追及の手がかりとなりそうな)加盟国の義務を規定する条文は多くは無いように見受けられます(後述します)。

そこで重要となるのが国際保健規則(2005)であり、感染症対策に関して加盟国に様々な義務を課しています("Each State Party shall" "States Parties shall"という文言が並びます)。国際保健規則それ自体は条約ではなく、WHO憲章第21条・22条に基づき総会が採択した法的拘束力ある文書です。法的拘束力がある以上、規定された義務内容の違反は国際責任を惹起します加盟国による国際機関への法定立権限の移譲例とみることができます。

この国際保健規則(2005)の第12条に基づき、(テレビで顔を見ない日はない)WHO事務局長は特定の感染症蔓延状況について「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態 (a public health emergency of international concern)」を構成するか否かを認定する権限を有します。そして、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の発生を認定すれば、WHO事務局長は所定の手続に従って「暫定的勧告 (temporary recommendations)」を発することができます(同第15条)。COVID-19の場合には、本年1月30日に「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」であると宣言され、中国(To the People's Republic of China)および全国家(To all countries)に対して各種の勧告を行いました。国際保健規則からWHO事務局長へのルール定立権限の再委譲とみることができるかもしれませんが、この「暫定的勧告」は法的拘束力を持たず(国際保健規則第1条の定義規定参照)、したがって名宛人たる国家の法的責任を追及する根拠は提供しないものと思います。

以上のように、世界保健法制は、権限委譲関係という観点からWHO憲章・国際保健規則・暫定的勧告の3層構造で(ひとまず)捉えることができるかと思いますが、国家責任追及可能性という観点からは前2者が重要となります。そこで次に、これらにおける紛争処理条項の内容を見ていきたいと思います。

WHO憲章・国際保健規則(2005)の紛争処理条項


まず、国際保健規則(2005)はその第56条において、次のような規定により仲裁による紛争処理を認めています。

"1. In the event of a dispute between two or more States Parties concerning the interpretation or application of these Regulations, the States Parties concerned shall seek in the first instance to settle the dispute through negotiation or any other peaceful means of their own choice, including good offices, mediation or conciliation. Failure to reach agreement shall not absolve the parties to the dispute from the responsibility of continuing to seek to resolve it.
[...]
3. A State Party may at any time declare in writing to the Director-General that it accepts arbitration as compulsory with regard to all disputes concerning the interpretation or application of these Regulations to which it is a party or with regard to a specific dispute in relation to any other State Party accepting the same obligation".

この規定を手がかりとすれば、例えば中国政府がCOVID-19に関する公衆衛生情報を評価してから「24時間以内に」WHOに情報提供する義務、あるいは「正確かつ十分な」情報を提供する義務(国際保健規則第6条)に違反したという主張、仲裁を通じて追及できるようにも考えられます。もっとも最大の問題は、中国政府が本条項に基づいて仲裁管轄に同意する宣言を行った形跡はなく、また今後そうした宣言を行うことは考えにくいことであり、このオプションは事実上閉じられているとみてよいかと思います。

そこで、WHO憲章の紛争処理条項が注目されますが、憲章は第75条において次のような規定により国際司法裁判所への紛争付託を認めています。

"Any question or dispute concerning the interpretation or application of this Constitution which is not settled by negotiation or by the Health Assembly shall be referred to the International Court of Justice in conformity with the Statute of the Court, unless the parties concerned agree on another mode of settlement".

一見する限り、この規定振りは多数国間条約の裁判条項としては割と典型に属するものであり、当事国間交渉「あるいは」総会によって紛争が解決されなかったことを前提条件として国際司法裁判所への付託を認めるものと読めます。前提条件の細かな解釈は割愛しますが、いずれにせよ、WHO憲章の解釈適用に関する加盟国間紛争を裁判を通じて解決するという途が明示的に開かれている点が注目されます。

事項的管轄権の判断枠組み


ただし、この第75条を援用しつつ抽象的に「WHO憲章違反だ」と主張すれば直ちに国際司法裁判所に審理してもらえるわけではありません。WHO憲章のように特定の分野を規律する多数国間条約の裁判条項に基づいて紛争が付託される場合、裁判所は次のような定式で、付託されたが紛争が自らの管轄権の事項的範囲内にあるか否かを判断します。

"in order to determine the Court’s jurisdiction ratione materiae under a compromissory clause concerning disputes relating to the interpretation or application of a treaty, it is necessary to ascertain whether the acts of which the applicant complains 'fall within the provisions' of the treaty containing the clause" (Ukraine v. Russia, Objections (2019), para. 57).

したがって、WHO憲章の特定の条文に「収まる (fall within)」被告国の行為を特定する必要があります。予告しました通り、ここで問題となりそうなのが、WHO憲章はWHOの組織や運営に関する条文が多くを占めており、責任追及の手がかりとなりそうな国家の義務を規定する条文は必ずしも多くはないことです。以下、めぼしい条文についていくつか検討してみます(この点は我が畏友のポストがより詳細です)。

まず、"Each Member of the Organization on its part undertakes to respect the exclusively international character of the Director-General and the staff and not to seek to influence them"と規定する憲章第37条を根拠に、中国は、COVID-19に関する情報を隠蔽あるいは不正確な情報を提供することで、事務局長による「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の認定を遅らせ、WHO事務局長及び職員に対して「影響力を及ぼそうとしない」義務に違反したという立論構成が提示されています。が、この場合、中国による情報隠蔽工作があったか否かという微妙かつ難しい事実証明が管轄権判断において求められることとなります。

次に、"Each Member shall communicate promptly to the Organization important laws, regulations, official reports and statistics pertaining to health which have been published in the State concerned"と規定する憲章第63条を根拠に、中国はCOVID-19に関する公式報告や統計を「速やかに (promptly)」提供する義務を怠った、という論理構成も一見したところありえそうですが、同条に基づいて提供すべき情報は「その国において公表された (published)」ものに限定されていますので、仮に何らかの情報隠蔽工作があったとしても、それだけではそうした行為が憲章第63条に「収まる」と結論付けることは難しそうです。

最後に、"Each Member shall provide statistical and epidemiological reports in a manner to be determined by the Health Assembly"と規定する憲章第64条が挙げられますが、これは少し複雑な解釈を要します。すなわち、加盟国は「保険総会が決定する態様(manner)において」統計的疫学的報告を提供すべきところ、ここでいう「態様」には総会が採択した国際保健規則(2005)が含まれ、したがって「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を構成しうる事象に関する情報の評価から24時間以内にWHOに通知しなければならないという国際保健規則第6条1項の不遵守は、同時に憲章第64条違反を構成しうる、といった論理構成です。もっともこの場合、具体的にどの行為が24時間のカウントダウンを開始したのかを特定する必要があります。6条1項の関連個所は次のような規定です。

"Each State Party shall notify WHO, by the most efficient means of communication available, by way of the National IHR Focal Point, and within 24 hours of assessment of public health information, of all events which may constitute a public health emergency of international concern within its territory in accordance with the decision instrument, as well as any health measure implemented in response to those events."
 

管轄権判断でどこまで事実問題に踏み込むか


以上の分析は国際司法裁判所の管轄権設定に関するものであり、中国の国際責任という本案には一切触れるものではありません。情報隠蔽工作やWHOへの情報提供の遅れ(の疑い)に言及しているのは、事項的管轄権の判断枠組みにおいてそれが要求されるからであり、本案に予断を与えるものではありません(この区別がなかなか理解されにくいことは、我が畏友のブログポストのコメント欄をみると分かります)。では、「そもそも情報隠蔽工作の事実などない」「中国はWHOに速やかに情報提供を行った」といったかたちでそもそもの事実認識が食い違う場合、裁判所としては管轄権判断の段階でどこまで事実問題に踏み込まねばならないのでしょうか。この論点は過去に何度か議論されてきており、最近の事件でも、管轄権判断の段階では事実認定は不要とする(=原告が主張する事実を真実と扱う)立場と、管轄権を基礎づける事実が存在することの見込み (plausibility)は少なくとも必要だとする立場が対立しました。が、裁判所の回答はあまり歯切れのよいものではなく、管轄権抗弁に関連する事実問題を検討すると述べるのみでした。

"At the present stage of the proceedings, an examination by the Court of the alleged wrongful acts or of the plausibility of the claims is not generally warranted. The Court’s task, as reflected in Article 79 of the Rules of Court of 14 April 1978 as amended on 1 February 2001, is to consider the questions of law and fact that are relevant to the objection to its jurisdiction" (Ukraine v. Russia, Objections (2019), para. 58).